『さらば友よ』(1968)
ADIEU L'AMI
ADIEU L'AMI
「敵と味方をいつも見分けられるってものでもない。似たようなものだから」
監督のジャン・エルマン
これは彼の本名で今は
ペンネームのジャン・ヴォートランと名乗っている。
ロッセリーニやヴィンセント・ミネリの助監督を経て
Le dimanche de la vie (1967) で長編映画でデビュー。
そして2作目がこの『さらば友よ』
他に『ジェフ』(1969)、『太陽の下の200万ドル』(1971)など。
原作は『シンデレラの罠』や『新車の中の女』(殺意の週末)など
サスペンス小説の名手セバスチャン・ジャプリゾ (脚本も)
ジャン・エルマンもミステリ好きで2人は意気投合して
ジャプリゾがエルマンに見せたのが『さらば友よ』の草案だった。
二人は映画化を望んだが、製作者が見つからない。
こうして目の前に現れたのはセルジュ・シルベルマンだった。
シルベルマンはメルヴィルの『賭博師ボブ』(1955)や
ジャック・ベッケルの名作『穴』(1960)
ルイス・ブニュエルの『小間使いの日記』(1963)の
プロデューサーとして有名だった。
ただ当時、セルジュ・シルベルマンは破産した直後で
資金が無かったが、小金を工面してくれた。
ジャン・エルマンとセバスチャン・ジャプリゾは
南仏へ行き、『さらば友よ』の脚本を完成させた。
セルジュ・シルベルマンのアイデアで
2人の男の片方はアラン・ドロンに決め、
もう1人はアメリカの俳優を使う事にした。
サスペンス小説の名手セバスチャン・ジャプリゾ (脚本も)
ジャン・エルマンもミステリ好きで2人は意気投合して
ジャプリゾがエルマンに見せたのが『さらば友よ』の草案だった。
二人は映画化を望んだが、製作者が見つからない。
こうして目の前に現れたのはセルジュ・シルベルマンだった。
シルベルマンはメルヴィルの『賭博師ボブ』(1955)や
ジャック・ベッケルの名作『穴』(1960)
ルイス・ブニュエルの『小間使いの日記』(1963)の
プロデューサーとして有名だった。
ただ当時、セルジュ・シルベルマンは破産した直後で
資金が無かったが、小金を工面してくれた。
ジャン・エルマンとセバスチャン・ジャプリゾは
南仏へ行き、『さらば友よ』の脚本を完成させた。
セルジュ・シルベルマンのアイデアで
2人の男の片方はアラン・ドロンに決め、
もう1人はアメリカの俳優を使う事にした。
アラン・ドロンは出演を承諾してくれたが
相手の俳優もスター俳優を使う条件を出してきた。
ジャン・エルマン、ジャプリゾ、シルベルマンの
3人はアメリカへ渡り、主役捜しに奔走した。
ただ予算の問題で8日間しか滞在出来ない。
まずニューヨークに着いて1本のアメリカ映画を
観た。それは『特攻大作戦』(1967・MGM)だった。
相手の俳優もスター俳優を使う条件を出してきた。
ジャン・エルマン、ジャプリゾ、シルベルマンの
3人はアメリカへ渡り、主役捜しに奔走した。
ただ予算の問題で8日間しか滞在出来ない。
まずニューヨークに着いて1本のアメリカ映画を
観た。それは『特攻大作戦』(1967・MGM)だった。
そしてハリウッドに向かってホテルで
俳優をオーディションし始めた。
リチャード・ウィドマーク
ジョン・カサヴェテス
ジャック・パランス・・・
だがどれも交渉は捗らず
ジャン・エルマンは閃いた。
『特攻大作戦』に出ていたあの先住民みたいな
いかつい顔の男・・・チャールズ・ブロンソン。
現れたブロンソンはもう役にピッタリだった。
シルベルマンはブロンソンのエージェントと交渉して
出演契約が結べた。
3人はフランスへ帰国すると、すぐドロンと会った。
だがドロンの反応は「ブロンソン?冗談か?」
「スペインで会った時は端役だった男だぞ」
しかし1ヶ月かけて何とかドロンを納得させた。
ブロンソンがパリに着いて撮影が始まってから
ドロンとブロンソンはお互いにライバル意識を持っていた。
気まずい空気が流れないようにとジャン・エルマンは語った。
「2人のアップを同じ数だけ撮らなければならなかった」
ジャン・エルマンはさらにブロンソンに対して
「考え方も文化も違った―お互いはおそらく理解し合えていなかった」
「この作品で突然売れっ子になったが、スーパースターと映画を作る
のは向いていないと思った」
事実、エルマンは5本の長編を撮った後に
脚本家に転向して、今は小説作家として活躍している。
俳優をオーディションし始めた。
リチャード・ウィドマーク
ジョン・カサヴェテス
ジャック・パランス・・・
だがどれも交渉は捗らず
ジャン・エルマンは閃いた。
『特攻大作戦』に出ていたあの先住民みたいな
いかつい顔の男・・・チャールズ・ブロンソン。
現れたブロンソンはもう役にピッタリだった。
シルベルマンはブロンソンのエージェントと交渉して
出演契約が結べた。
3人はフランスへ帰国すると、すぐドロンと会った。
だがドロンの反応は「ブロンソン?冗談か?」
「スペインで会った時は端役だった男だぞ」
しかし1ヶ月かけて何とかドロンを納得させた。
ブロンソンがパリに着いて撮影が始まってから
ドロンとブロンソンはお互いにライバル意識を持っていた。
気まずい空気が流れないようにとジャン・エルマンは語った。
「2人のアップを同じ数だけ撮らなければならなかった」
ジャン・エルマンはさらにブロンソンに対して
「考え方も文化も違った―お互いはおそらく理解し合えていなかった」
「この作品で突然売れっ子になったが、スーパースターと映画を作る
のは向いていないと思った」
事実、エルマンは5本の長編を撮った後に
脚本家に転向して、今は小説作家として活躍している。
ブロンソンはこの後、セルジオ・レオーネの『ウエスタン』(1968)
に出演後、再びシルベルマンとジャプリゾと組んで
ルネ・クレマンの名作『雨の訪問者』(1970)でスターとなって
ドロンと共演した『レッド・サン』(1971)ではドロンより格上と
なっていた。
に出演後、再びシルベルマンとジャプリゾと組んで
ルネ・クレマンの名作『雨の訪問者』(1970)でスターとなって
ドロンと共演した『レッド・サン』(1971)ではドロンより格上と
なっていた。
現在はブルーレイに英語版”FAREWELL, FRIEND”
(午前十時の映画祭も英語版が使われている。
それはHDマスターが英語版しか作られていないからだ)
付属しているDVDにはフランス版”ADIEU L'AMI”が収録されている。
1975年にゴールデン洋画劇場で放映された野沢那智・大塚周夫による
日本語吹替版はDVDのフランス版にしか使われていない。
それは理由がある。
まずゴールデン洋画劇場放映版はフランス版を元に製作された。
実は英語版とフランス語版は音声・クレジットだけではなく
撮影のショットやカットも違うと言う。
編集ではなく撮影現場で2バージョン撮られたふしがあるのだ。
だから微妙に台詞や間が違うので日本語吹替音声は
英語版のブルーレイには収録されていないと言う。
マルセイユ港 アルジェリアから戻ってきた軍医バラン(ドロン)は
見知らぬ女イザベル(オルガ・ジョルジュ・ピコ)から奇妙な依頼を受けた。
それは彼女が勤める会社の金庫に以前持ち出した債券を
戻してほしいと言うことだった。
そしてその金庫には2億フランの現金が眠ってると聞いてバランは
港で会ったアメリカ人のブロック軍曹(ブロンソン)を引き入れて
一緒に金庫破りをやろうと組む。そして地下にある金庫室に忍び込むが
やっと開けた金庫は空の状態だった。おまけに閉じ込められて
脱出したら警備員の死体が転がっていた。
それはイザベルが友人のドミニク(B・フォッセー)と共謀してバランとブロックに
罪を被せて金を奪おうと仕組んだ罠だった。
そしてその金庫には2億フランの現金が眠ってると聞いてバランは
港で会ったアメリカ人のブロック軍曹(ブロンソン)を引き入れて
一緒に金庫破りをやろうと組む。そして地下にある金庫室に忍び込むが
やっと開けた金庫は空の状態だった。おまけに閉じ込められて
脱出したら警備員の死体が転がっていた。
それはイザベルが友人のドミニク(B・フォッセー)と共謀してバランとブロックに
罪を被せて金を奪おうと仕組んだ罠だった。
ドミニクにはルネ・クレマンの『禁じられた遊び』のブリジット・フォッセーが
扮していた。刑事役にはベルナール・フレッソン。
もう有名なラストシーン。全てを被るのはブロンソンだが、
あのロバート・アルドリッチの『ヴェラクルス』で
ゲーリー・クーパーに撃たれて倒れるバート・ランカスターばりの
儲け役がこの映画の
チャールズ・ブロンソン。
しかもお互いは最後まで
しかもお互いは最後まで
目を合わせない。イエーッ!
製作: セルジュ・シルベルマン
原作: セバスチャン・ジャプリゾ
脚本: セバスチャン・ジャプリゾ
ジャン・エルマン
撮影: ジャン=ジャック・タルベ
音楽: フランソワ・ド・ルーベ
アラン・ドロン
チャールズ・ブロンソン
ブリジット・フォッセー
オルガ・ジョルジュ=ピコ
ベルナール・フレッソン
イーストマンカラー
ヨーロッパヴィスタ(1.66:1)
フランス語・英語
115分
日本公開1968年10月20日
(日本ヘラルド映画配給)
ヨーロッパヴィスタ(1.66:1)
フランス語・英語
115分
日本公開1968年10月20日
(日本ヘラルド映画配給)
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